【私が海外旅行に行く理由】海外旅行に求めていることを海外に行かないで再現することはできるのか?~いばや通信の記事に触発されて~
私は海外旅行が好きだ。
理由は、美味しい食べ物に出会えること。
日本とは異なる風景や人、文化などの写真や動画、文章では感じ取ることのできないリアルを直接感じることができること。
そんな風に思っていたんだけど、このブログ記事を読んでビビッときてしまった…!
結局、人間を鍛えるのは「成功した思い出」よりも「失敗した思い出」であり、見舞われたハプニングが大きい旅先ほど忘れらない印象が残るものだ。人生が旅と同じようなものだとすれば、(無難な道を選ぶよりも)どんどん痛い目にあった方が単純に面白いし、結果的に人間的にもタフになれたら最高である。
見舞われたハプニングが大きい旅先ほど忘れられない印象が残るー。
まさにこのハプニングが起こりやすいのが海外旅行であり、期せずしてやってきたハプニングをなんとか乗り越えた時の何とも表現し難い爽快感のようなものを感じるために海外に出ると言っても過言ではないかもしれない。
あの、“やったったー!!” “シビレる~~♪♪”みたいな感覚はホント特別。身体がシビれて頭の奥の方で花火がパラパラ、脳細胞が超高速で活性化しているカンジ。
海外旅行という非日常な環境に自分をおくことで、日常生活ではほとんど感じることがないこの感覚を再現しようとしてたんだなぁ。
では何故、普段の生活ではこの“the・生きてるぜー!!”みたいな感覚(略してthe生きてる感)を味わう機会に恵まれないのか。海外旅行に行くと数日間の旅行であるにも関わらず高確率でthe生きてる感を感じることができるのは何故か?私なりに考えてみた。
- 海外では自分でできることの方が少ない
the生きてる感を味わった時は、その殆どが自分(と一緒にいる仲間うち)では解決できない問題にぶちあたり、必要に迫られて何かしらのアクションを起こした後に感じることが多かった。逆に言えば、日本でいつも通りに暮らしていて、自分では解決できず、かつ避けることのできない問題にぶちあたることは、ほぼない。
- 非日常はそれだけで特別
非日常な環境って、それだけで感情とか行動とかの表現レベルが上がる。そういえば、中学生の時に授業中に気分が悪くなった友人を保健室に送って行った後の教室までの道のりで『授業時間中なのに廊下を歩いている自分』がものすごく自由に感じて一人ほくそ笑んだなぁ。
- アウェイでは常にチョット不安。それゆえ、感情の振れ幅が大きい。
慣れた場所でやり慣れたことをする時に人はそんなに頭を使う必要はなく、ほとんど自動的に作業をしているような状態である。それに対し、アウェイでは心細さや不安な気持ちがどこかしらに存在する。神経を張り詰めている時はそうでない時に比べ、気持ちの振れ幅が大きくなる。
結論。
現地にしかないもの、ヒト、空気感などを満たすことはできない。しかし、私が海外旅行に求めていたthe生きてる感を日本にいながらにして感じることは(工夫すれば)できる。
いばや通信、オススメです。